私は 1984 年から東京の小劇場の劇団で活動していましたが、日本で活動し ている間に井上ひさし作品とは何の接点もありませんでした。それが 2001 年にドイツに移住して、ベルリン、ウイーン(オーストリア)と住んだ後、 2 009 年にハノーファーに引っ越したことで、初めて井上ひさし作品と関わる ようになったのは、何とも不思議なことです。 2009 年夏 にハノーファー州立劇場の専属俳優となり、ウイーンからハノー ファーに引越しました。ある日街の中心街を歩いていたら「広島」と漢字で 彫ってある石碑を発見。なぜ広島?調べてみるとハノーファーは広島の姉妹 都市であることが分かりました。なぜ両都市が姉妹都市?調べていくと、そ こに 1 人の広島の被爆者が関連していることが分かりました。ハノーファー 州立劇場で専属俳優になった日本人は私が初、ならば私がここにいる間に広 島原爆投下を描いた舞台作品を上演したい、そう劇場チーフ・ドラマツルグ のユーディット・ゲルステンベルクに訴えました。私は広島原爆を描いた 様々な作品の中から井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」を選びました。こ の作品はフィクションながら原爆に関する様々な情報や史実が盛り込まれて いて、広島原爆投下をよく知らない人が多い土地には最適だと思ったからで す。井上ひさしさんはこの戯曲を書く時に毎日聖書を読むように被爆者の残 した資料を読んでいたと聞きました。 また、翻訳も一筋縄では行きませんでした。ハノーファー州立劇場が専門家 に頼んで出来てきた翻訳は舞台向きではありませんでした。そこでドラマツ ルグのクリスチャン・シルナーと組んで、一文ずつ説明しながら訳し直しま した。シルナー氏は自ら作家でもあるので、とても叙情に満ちた良い訳が出 来ました。 ハノーファー州立劇場での上演の他、戯曲全部がドイツの演劇紙に載ってか らは、ベルリン・ドイツ座など他の劇場でも上演されました。今も私は各地 で行うヒロシマ・サロンでこの作品を現地の人に朗読してもらっています。 プロの俳優でも、素人さんでも、胸に平和への願いがあれば、この戯曲は驚 くほど人々の心に届きます。そのような奇跡の時間を私は何度も体験しまし た。これからもこの戯曲を鞄に入れて私の旅は続きます。 このドイツ語訳から、ポーランド訳も生まれ、最近は英訳はないのかと聞か れることも多いです。いつか実現したらいいなと思います。
2020 | St. Petri, Hamburg |
2020 | Büchel ICAN Aktienfest |
2020 | Bad Kreuznach |
2019 | Kusel Evangesiche Kirche Friedensfest |
2019 | St-Petri Kirche in Hamburg |
2019 | Büchel ICAN Aktientage |
2017 | Hamburg Uni,Japanologie Abteilung (Theaterführung) |
2016 | Hannover Schauspiel Hiroshima-Salon |
2015 | Hannover Schauspiel Hiroshima-Salon |
2015 | Teatr Powszechny Warschau Polen,Hiroshima-Salon |
2014 | Hannover Haus der Religion |
2014 | Hannover Pavillon Hiroshima-Salon |
2013 | Deutsches Schauspielhaus Hamburg ‘Hiroshima-Salon Hamburg’ |
2013 | Hannover Volkshochschule Theodor-Lessing-Saal |
2010 | Premiere Hannover Schauspielhaus |