プロジェクト

ヒロシマ・モンスターガール

原サチコによるソロパフォーマンス

「ヒロシマ・モンスターガール」は原サチコによるソロパフォーマンスです。上演時間30分弱の中で観客が知るのは、1945年8月6日広島で何が起こり、生き残った1人の少女がどのような人生を送り、後に福島の少女とどのように出逢い、彼女が今の世界に何を望むかといったことです。「ヒロシマ・モンスターガール」は原サチコによるソロパフォーマンスです。上演時間30分弱の中で観客が知るのは、
1945年8月6日広島で何が起こり、生き残った1人の少女がどのような人生を送り、後に福島の少女とどのように出逢い、彼女が今の世界に何を望むかといったことです。原サチコはこの中で印象的な言葉や肉体表現を屈指して、背後に映る映像とコネクトしながら話を進めていきます。音楽は日本が生んだ天才即興音楽家内橋和久のオリジナル。広島原爆にまつわる絵画を生涯描き続けた四國五郎の絵画もパフォーマンスを彩ります。

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ヒロシマ・サロン

原サチコのトーク・サロン

ヒロシマ・サロン 原サチコのトーク・サロン
ヒロシマ・サロンは毎回違います。毎回違ったテーマ、違ったゲスト、違った場所で行っています。そのテーマは、ヒロシマ原爆投下をはじめとして様々な戦争の記憶、世界中の核問題、日本とドイツの友好関係など多岐に渡ります。それにまつわるゲストの個人的なお話を聞き、世界平和について皆で考える場です。ドイツはもとより広島、福島、東京といった日本の各地で私が人々にインタビューした映像をお見せしたりもします。トークの合間にはダンスや歌を披露するゲストがいたり、参加者はコスプレイヤーから平和活動家まで様々です。ちょっとおかしなプログラムと思われるでしょうが、私はあらゆる世代のあらゆる人々にここヒロシマ・サロンに集まってもらいたいのです。そして一緒に世界平和について何が出来るか考えたい。このようにしてヒロシマ・サロンはハノーファーから始まって既10都市以上で、合計40回以上行ってきました。

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私は 1984 年から東京の小劇場の劇団で活動していましたが、日本で活動し ている間に井上ひさし作品とは何の接点もありませんでした。それが 2001 年にドイツに移住して、ベルリン、ウイーン(オーストリア)と住んだ後、 2 009 年にハノーファーに引っ越したことで、初めて井上ひさし作品と関わる ようになったのは、何とも不思議なことです。 2009 年夏 にハノーファー州立劇場の専属俳優となり、ウイーンからハノー ファーに引越しました。ある日街の中心街を歩いていたら「広島」と漢字で 彫ってある石碑を発見。なぜ広島?調べてみるとハノーファーは広島の姉妹 都市であることが分かりました。なぜ両都市が姉妹都市?調べていくと、そ こに 1 人の広島の被爆者が関連していることが分かりました。

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オオサカ・サロン

原サチコによる姉妹都市交流プログラム

ハンブルク・ドイツ劇場の専属としてハンブルクに引越した 2013 年夏、ハ ンブルクと大阪が姉妹都市なのを知りました。ハノーファーでの「ヒロシマ ・サロン」を知っている人に「次はオオサカ・サロンだね」と 言 われて、そ れではと両都市の 交流 について調べました。 結果 、両都市の 交流 はとても少 ないことが分かり、 特 に市 民 の 参加 できるプログラ ム は 皆無 に近い 状態 。 早 速 両都市に関わる人々、ハンブルク 在 住の日本人に 沢山 イン タビュ ーをしま した。そこから生まれた「オオサカ・サロン」は大盛 況 。他分 野 にわたるハ ンブルク 在 住日本人とハンブルク人と 共 に、大阪と日本の多 岐 にわたる 魅力 を 紹介 しました。

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