原 サチコ

ヒロシマ・サロン

原 サチコのトーク・サロン

公演日

内容

ヒロシマ・サロン

ヒロシマ・サロンとは何か。そのテーマは毎回違います。毎回違うテーマ、毎回違うトークゲストでいろんな場所で開催しています。通底しているテーマはヒロシマにおける原爆投下。そこにその土地の戦争の記憶、世界の核問題、日本とドイツの友好関係などのテーマが重なります。トークゲストの個人的な話やレポートを聞いたり、広島、福島、東京、そしてドイツで私が撮ったいろんな人々のインタビュー映像もお見せします。

トークの合間にはダンスや歌を披露するゲストがいたり、参加者はコスプレイヤーから平和活動家まで様々です。ちょっとおかしなプログラムと思われるでしょうが、私はあらゆる世代のあらゆる人々にここヒロシマ・サロンに集まってもらい、一緒に世界平和に向けて何が出来るか考えたいのです。このようにしてヒロシマ・サロンは広島の友好都市ハノーファーから始まって既に10都市以上で、合計40回以上行ってきました。

ヒロシマ・サロンの歴史

2010年10月18日 
「少年口伝隊一九四五」ヨーロッパ初演 初日。
ハノーファー州立劇場バールホフ
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2009年夏にハノーファー州立劇場の専属俳優となりウイーンからハノーファーに引越しました。ある日街の中心街を歩いていたら「広島」と漢字で彫ってある石碑を発見。なぜ広島?調べてみるとハノーファーは広島の姉妹都市であることが分かりました。なぜ両都市が姉妹都市?調べていくと、そこに 1 人の広島の被爆者が関連していることが分かりました。ハノーファー州立劇場の専属俳優になった初めての日本人として、ここで広島原爆投下を描いた舞台作品を上演したい、そう劇場チーフドラマツルグのユーディット・ゲルステンベルクに訴え、いろいろな作品の中から井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」を選びました。 この作品はフィクションながら原爆に関する様々な情報や被爆者の証言が多く盛り込まれているので、初めてこの史実に触れる人には最適だと思ったからです。劇場からゴーサインが出、演出家も決まりましたが、出来てきた翻訳が舞台向きではありませんでした。ドラマツルグのクリスチャン・シルナーと組んで、一文ずつ訳し直す 必要がありました。シルナー氏は自ら作家でもあるので、とても叙情に満ちた良い訳が出来ました。また、この作品をやるからには、私自身が広島のことをもっと知らなくてはと、稽古に入る前に広島を訪ねて様々な人に取材しました。ハノーファーに帰り稽古がスタートしても困難を極めました。この舞台作品の中に原爆を落としたパイロットの視点を組み込みたいという演出家の意向、そして現在の広島をどう浮かび上がらせるかという課題。ドイツで広島原爆を舞台化する事は、日本で行うのとまた大きく意味が違ってくる事を知りました。そして迎えた初日。満員のお客様、特に広島と長く関わってきた方々はとても喜んでくれました。この舞台作品は2011年3月まで何度も公演し、高校の課外授業として多くの高校生にも観てもらう事が出来ました。そしてこのテーマに関わることは生半可な覚悟では出来ない事に、広島出身でない新参者の私はやっと気がついた時でもありました。

2011年1月13日
ハノーファー州立劇場バールホフ 2
「ヒロシマ・サロン」 初日
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「ヒロシマ・サロン」は前年10月に初日を迎えレパートリー上演されていた井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」の付属プログラムとして、2011年1月13日に始まりました。始めた理由の一つは、ヒロシマ原爆投下を生き抜く少年達を描いた「少年口伝隊一九四五」の上演だけでは「今の広島」が伝わらない、「今の広島」も伝えなくては片手落ちだと思ったからです。何より友好都市であるハノーファーの人々に今の広島に興味を持ってもらいたいと思いました。冗談ではなく「今も広島は焼け野原なの?」という質問を受ける事がドイツでは少なくないのです。もう一つの理由は、生涯に渡って両都市を結ぶご尽力をなされた林 壽彦さんの最後のインタビュー映像を偶然私達が撮っていたからです。そのインタビューの中で林さんはハノーファーの人々への平和へのメッセージを残していました。これをハノーファーの人々に見てもらわなければと思いました。しかし私のドイツ語能力で司会が務まるのだろうかと不安は大きかったです。そこで私は他の上演作で使われているキッチンセットを借りて広島のお好み焼きを作り、お客様に私の家にお招きするような雰囲気を作りました。私の広島の旅のビデオを流したり、広島出身のパフュームの踊りを真似したり。「ヒロシマ」と聞くと途端に深刻な顔をするドイツ人の、その顔を緩めて広島を身近に感じてもらいたかったのです 。広島にはまだ放射能があって危険なのではと言う人の為に、広島の放射能研究所で受けたレクチャーの映像を見せ、被曝2世や3世のインタビュー映像も交​えて、偏見を解いてもらおうとしました。このクッキングショースタイルのヒロシマ・サロンは 2011 年 3 月まで「少年口伝隊一九四五」の上演後ほとんど毎回行いました。

2011年10月 -2012年6月
定期的 にハノーファー州立劇場バールホフで開催
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東日本大震災が起きた2011年3月から私はヒロシマ・サロンをお休みしました。自分自身の動揺が大きく、何を伝えるべきなのか正直分からなかったからです。今福島で起きていることと、過去にヒロシマに落ちた原爆、それは全く違うものだと言っても、こちらの人は同じカテゴリーに入れて見ています。同じ国で起きた核による被害 、と。日本人に真摯な同情を示す人もいれば、もう日本には行けないね、と切り捨てるような言い方をする人もいました。私は日本人として発信する場「ヒロシマ・サロン」があることを利用して両国の溝を少しでも埋められたらと思いました。まずは2011年夏に帰国した際 、ガイガーカウンターを持って日本を旅し、計った放射能量 、街の様子、人々の様子をビデオで撮ってまわりました。それから東日本の被災した方々のサポートをしているハノーファーの人々のインタビューもビデオに撮り紹介しました。それは独日協会ハノーファー支部の会長さんから武道家、コスプレイヤーの女の子まで様々です。直接サロンに来てもらってお話を聞いたりもしました。この時期は毎月一度定期的に開催しました。

2012年3月3日
ベルリン・ドイツ 座 「立ち入り禁止区域 日本。
フクシマから一年」プログラム 内
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ベルリン・ドイツ 座 の特別プログラム の一環として、ヒロシマ・サロンの特別バージョンの場を設けていただきました。「少年口伝隊一九四五」のドイツ語訳戯曲は東日本大震災後新たな注目を集め、ドイツ演劇誌にその全編が掲載され、新たにベルリン・ドイツ座で新演出による上演が始まりました。東日本大震災の1年後のこの時期、その初日とこの特別プログラムが開催されました。私は私の身近な人々から知る大震災の衝撃、現在の様子などを話しました。原爆を2度も受けた日本になぜ沢山の原発があるのかという問題について積極的な意見が観客からも出ました。ドイツ座での「少年口伝隊一九四五」演出も新鮮で、出演する俳優の皆さんにも林 壽彦さんのビデオや広島のビデオを見ていただき理解を深めてもらえたのも嬉しかったです。

2012年3月26日
ハノーファー州立劇場 「ヒロシマ・サロン・スペシャル
コスプレ・ カラオケショー」
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ハノーファー州立劇場でのヒロシマ・サロンも回を重ね手応えを感じていましたが、もっと若い人達にも来て欲しいと思いました。以前インタビューした コスプレイヤーの子達がとても真摯に日本のことを想っていたのを思い出し、思い切ってコスプレイヤーさん中心のプログラムを企画しました。2分間歌って踊って自分のコスプレをアピール出来ます、と出演者を募集 したら、超個性的 な人達が集まりました。 扮装も素晴らしい上に日本語を習っていたり、コスプレに使う着物や足袋を手作りしていたり、皆さん日本文化を吸収するのにとても熱心。ショーの合間にハノーファーの姉妹都市・広島の紹介 、そしてその友好関係 が1人の被爆者から生まれたものであることを紹介し、日本、広島、世界平和と視野を広げ何が出来るか共に考えていきませんかと訴えました 。参加者の何人かはその後も何度もヒロシマ・サロンに参加してくれ、特にハノーファーのコスプレ界のリーダー的存在であるサスキアは、ほぼ毎回出演して私をサポートしてくれる頼もしいスタメンとなりました。

2012年4月26日
ハノーファー州立劇場
「ヒロシマ・サロン・チェルノブイリ・スペシャル」
ゲスト タチアナ・ブラバ
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私は2002年からハノーファー州立劇場でニコラス・シュテーマン演出「三文オペラ」にポリー役で出演していました。ハノーファーで2009年に上演終了した後、ケルン市立劇場で改訂版が作られ、結果2012年まで、足掛け10年ポリーを演じてきました。その時、ハノーファー・オリジナルメンバーからケルンに呼ばれた数人のうちの一人がアコーディオン奏者のタチアナ・ブラヴァTatjana Bulavaさんでした。ある終演後彼女が「サチコ、ヒロシマのプログラムやってるの?実は私チェルノブイリ事故が起きた時キエフにいたの」と、それまで誰にも話さなかったという話を聞かせてくれました。事故直後ソ連が原発事故を「ただの火事」と報道した為、キエフの名門音楽大学に通っていたタチアナ達は普段通りに生活していました。しかし当時タチアナのボーイフレンドはクロアチアからの留学生で、彼がクロアチアにいる母親に「とにかくすぐに帰っておいで」と電話をもらい「なんだか分からないけど一度帰って来るね」とタチアナとキエフ駅で別れ、それから彼は二度とキエフに戻れず今生の別れとなったそうです。タチアナ自身も担当教授に「今すぐ南に休暇に行ってきなさい」と言われ、数ヶ月キエフを離れました。大学に戻った際、大学の上部はタチアナに「外国でもチェルノブイリは安全だと報道されている」と嘘の演説をするように命令しました。大講堂でタチアナが演説をしている間、仲間達は「本当のことは分かってるよ」と片目をつぶって合図をしたそうです。そしてタチアナの生まれ故郷はウランの産地で小学校の門にもウランが使われていたとか。後に多くの人が病気になったとの事。普段明るいタチアナにそんな過去があったとは衝撃でした。
そこで4月26日チェルノブイリ大事故が起きた日にヒロシマ・サロンを開催してタチアナをトークゲストに呼びました。人前でこの話をしたのは初めてだったそうです。福島の原発事故の時も住民はすぐに真実を知らされなかったことに、タチアナは驚いていました。近代的な国の日本がなぜ、社会主義国じゃない日本でなぜ、と。チェルノブイリから何も学ばなかったの?と聞かれ言葉に詰まりました。日本から見るとチェルノブイリはとても遠くて、当時そこまで深刻に考えなかったのは事実です。あの時もっと危機感を持てていたら、何か違っていたのかもしれません。話の前後にタチアナのアコーディオン伴奏で日本の歌とロシアの歌を歌い、タチアナの大学時代の写真を流しました。とても感慨深いサロンだったとお客様に言われました。

 2012年5月
ハノーファー州立劇場
「ヒロシマ・サロン・ 福 島レ ポ ート」
ゲスト ニス・モム・シュトックマン
詳細
劇作家のニス・モム・シュトックマン氏は取材の為、東日本大震災後に福島を訪れました。私とは訪問前からメールのやり取りをしていたので、帰国後トークゲストとして彼の見てきた福島の最新の様子をレポートしていただきました。放射能専門家から知識を得て万全の準備をして福島に向かい、そして個人的にも貴重な出会いをしてきた彼の言葉は説得力があり、ただ怖れるだけでなく、また盲目的に過信することもなく、この災害に向き合い人として何が出来るかを共に考える時間となりました。

2012年6月5日
ハノーファー州立劇場
「サヨナラ・ヒロシマ・サロン」
詳細
来シーズンから私がケルン市立劇場に移籍するためハノーファー州立劇場でのヒロ シマ・サロンはひとまず終了することになり、最後のサロンでは今までの内容を振り返りました。集まってくれた今までの参加者は多く、日本に向けてメッセージを言うコーナーも作りました。日本に関心を持ち続け寄り添って行きたいという皆の意思表明でした。最後にアニメ主題歌「 ワンピース」を一緒に歌いました。皆の熱い思いを聞いてこれからもハノーファーでヒロシマ・サロンをやっていく決意をしました。

2012年8月3日
ゲーテ・インスティテュート東京:
「ハノーファー・ヒロシマ・サロン」
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昨年は私のドイツ演劇生活について講演会をやらせていただいたゲーテ・インスティテュート東京で、今回は「ハノーファー・ヒロシマ・サロン」と 銘打 ち、 ハノーファーと広島の特別な友好関係とその歴史、林先生のこと、そしてハノーファーの人々の反応 などについてお話しさせていただきました。

2012年8月6日
 広島・ 井内康輝先生事務所:
「ハノーファー・ヒロシマ・サロン」
詳細
林先生ご逝去の後に広島国際青少年協会の会長になられた井内康輝先生にお招きいただき、 林先生と共にハノーファーへ行かれた昔からの会員の皆様の前でヒロシマ ・サロンをやらせていただきました。 林先生やハノーファーのビデオを皆さんに懐かしがって喜んでいただき、これからまた協力していきたいとの意見も出て、これからの両都市の友好がまた楽しみになってきました。

2012年11月30日-12月1日 
ハノーファー・ギャラリー・ルナ:
「ヒロシマ・サロン福島スペシャル」
詳細
劇場を飛び出したヒロシマ・サロン、まずはギャラリーに場を移 し「 福 島」をテー​マに複合的なプログラムとして開催しました。準備として福島を訪ね、8人の方々にインタビューしました。そのビデオにハノーファーの日本人有志の方々がドイツ語字幕を付けて下さいました。そのビデオと私の体験を発表するレクチャーが第一部 、そして福島での出会いからインスピレーションを得て作った私のソロパフォーマンス「 水の中の人形 」が 第二部 、そして 第三部 は コ スプレイ ヤ ーさん達のショー。 合間に VJ が入ったり ケーキやお茶を提供し、またサロン以外の時間にも福島のインタビュービデオ を流しお客様とじっくり話し合うなど、この時点でやりたいことを全部詰め込んだ2日間でした。

2013年5月3日
ハノーファーVHSテオドールレッシングホール 
「ヒロシマ・サロン2013 ハノーファー広島青少年交流45周年特別プログラム」
詳細
ハノーファー広島友好会は林先生が結んだ青少年交流のハノーファーでの受け入れ先 として、そして日本文化をハノーファーで広める活動をしてきた日本人とドイツ人の 拠り所です。この会からハノーファーでの ヒロシマ・サロ ンは本格的に友好会の協力を得ることになりました 。この会ではまず、1970年からの両都市の青少年交流の歴史を 当時ハノーファー文化局員として交流を担当していたビルギット・メルケルさんと日本人会会長節子ポ ルチェさんのお話しを聞きながら振り返り、当時のホストファミリーや当時広島へ行った方などからもお話を聞きました。これから日本へ行きたいと胸を膨らませているコ スプレイヤーさん達も多く、これから両都市の青少年交流 が盛んになることを願ってやみません。

2013年12月15日
ハンブルク・ドイツ劇場マーラーザール
  「ヒロシマ・サロン・ハンブルク」
詳細
私がハンブルク・ドイツ劇場に移籍してすぐ、ここでもヒロシマ・サロンをやらせていただきました。ハンブルクは政治的関心の高い人が多く、広島、福島、原爆、原発と発言したい人も多く、客席にマイクを渡したら返ってこない事態にも途中なりましたが、盛り上がりました。ここでも広島、福島に関心のある人が多きことが分かりました。

2014年2月4日
ハノーファー・パビリオン 
「ヒロシマ・サロン『ハノーファーは広島のヨーロッパ唯一の姉妹都市』」

2014年5月25日
ベルリン・HAU1  
「ヒロシマ・サロン『ドイツ在住日本人・福島大事故の際に』」
詳細
ベルリンのフリーシーンを担うHAU劇場の日本特集プログラムの一環としてやらせていただきました。ここでのテーマはドイツ在住の日本人達。東日本大震災が起こってから、在独日本人はドイツと日本との報道の違い、考え方の違いに板ばさみになりました 。 特に周囲で唯一の日本人である人は 孤立を深めていきました。当時何が問題で、どうすればよかったのか。 答えは簡単ではありませんが、私がベルリンに 住んでいた頃のママ友を中心に声をかけ、話をしていただきました。

2014年10月26日
ハノーファー・宗教の家
「ヒロシマ・サロン・チャリティ『広島土砂災害被災者の方々へ向けて』」
詳細
2014年8月20日に起こった広島の土 砂大災害はハノーファーに住む日本人にも 衝撃を与えました。事実ハノーファーに所縁のある方も亡くなられました。この会は土砂災害の被害に遭われた方々への義援金を集めるためハノーファー広島友好会にオーガナイズしていただき急遽行われました。ドイツではあまり報道されていない大災害の実態をハノーファーの人々に知っていただきたかったのです。この会での朗読「少年口伝隊一九四五」は新たなリアリティを持って聴く人にショックを与えたようです。 終わってから「 じっくり戯曲を読みたい」と言ってくる人がいました。この戯曲が出版されることを望みます。

2015年4月12日
ワルシャワ・powszechny劇場
「ヒロシマ・サロン・ワルシャワ」
詳細
ワルシャワでの初めてのヒロシマ・サロンは大成功でした。第一部のポーランドの俳優さん達による「少年口伝隊一九四五」の朗読は本当に素晴らしかったです。翻訳はポーランド演劇界で一番の翻訳家に訳していただきました。今回は初めて朗読に合わせて舞踏を踊ってみました。そして第二部の私のトークは、ヒロシマとワルシャワの戦禍の比較も含めた特別バージョンとなりました。ドラマツルグのルーカスと時間をかけて準備した内容は、ヒロシマ・福島の事以外に放射能を発見したワルシャワ出身のキュリー夫人のこと。日本では小学校で習うのでとても親しみがあることを話すと皆驚いていました。またポーランド人神父コルベ神父やゼノ神父の日本での布教活動のことを話しました。コルベ神父はアウシュビッツで他の人の身代わりとなって亡くなったことで有名ですが、その前に日本に宣教に来ていたことを会場にいた誰も知りませんでした。日本の戦争孤児を生涯救い続けたゼノ神父のことも全く知られていなくて、ここでお話しできてよかったです。ポーランドの学校では広島や長崎の原爆投下については特に習わないそうで、それゆえ皆とても熱心に聞いてくれました。終演後「家に帰って3週間はじっくり考えることがある」と言われました。サロンの最後には女優カロリーナとパフォーマンス「二人アリエル」をやりました。今回私をワルシャワに呼んでくれた演出家マヤ・クレチェスカとルーカスはポーランドとハンブルクでシェイクスピアの「テンペスト」を演出し大成功しました。その際ポーランドでアリエルを演じたのがカロリーナ、ハンブルクでアリエルを演じたのが私なのです。その他いつもハノーファーで踊っているパフュームの「ポリリズム」をポーランドの俳優さんが一緒に踊ってくれる楽しい瞬間もありました。また機会があればポーランドでもヒロシマ・サロンをやっていきたいと思いました。

2015年5月9日
ハノーファー州立劇場  
 「ヒロシマ・サロン2015『戦後70年』」
 

2016年10月2日
ハノーファー州立劇場
「ヒロシマ・サロン2016」
詳細
2015年から再びハノーファー州立劇場で年に一度開催するようになりました。「少年口伝隊一九四五」はハノーファー州立劇場専属俳優3人による朗読。そしてトークゲストは、故・林先生と共に広島とハノーファーとの青少年交流、そしてハノーファーの姉妹都市ポズナンとの交流にも力を注がれた元ハノーファー市文化局のビルギット・メルケルさんから当時のお話をお聞きしました。広島からハノーファーを通じポズナンまで交流が繋がっていったことは今日あまり知られていません。もう一つのテーマ、広島に深く関わった哲学者ギュンター・アンダースの話を広島市立大学哲学ご専門の柿木伸之先生からお聞きしました。そして川田亜美さんをはじめ、広島市立大学の留学生の皆さんも沢山参加してくださいました。ジャーナリストの田口里穂さんからは最新の核にまつわる時事問題を。そして休憩には三ツ星レストランのシェフで友好会会員であるハミドによるお寿司とお茶がお客様全員に振舞われました。そして第二部はハノーファーで一番豪華なカラオケショー。着物美人もコスプレイヤーも、日本人もドイツ人も一緒に日本の歌を歌い楽しみました。今ヒロシマを世界にどう伝えるか、私達は何をすべきか、ドイツ人日本人10代から80代の老若男女が広島の姉妹都市ハノーファーで一堂に会し共に考える機会、それが定期的に行われ注目を集めるようになったことが一番の成果です。日独友好の場としても充実したものとなってきました。

2017年1月20-21日
ハンブルク大学 アジア・アフリカ・インスティチュート ハンブルク大学日本学科 特別公演「少年口伝隊一九四五」
詳細
2017年1月20-21日。「少年口伝隊一九四五」井上ひさし作。演出・原サチコ。出演・ハンブルク大学日本学科学生と日本からの留学生。ドイツ語字幕付き日本語上演。ドイツで、日本語で、広島原爆のお芝居をする、こんなことは最初で最後かもしれません。私は演技指導・演出を担当しました。杉原早紀先生指導の特別授業として戯曲を読んでもらってから、発声などの基礎訓練と同時にシーン毎の稽古を進めていきました。学生達は日本語はかなりなレベルであっても、演劇での日本語発声はまた違うので戸惑っていました。ほとんどの学生に演技経験はなく、また台詞を暗記するのにも苦労していました。日本からの留学生達は自ら出演しつつ、学生達の日本語発音指導をマンツーマンで受け持ってくれ、字幕作りにも協力してくれました。舞台はシンプル、小道具も教室の椅子や机、一枚のシーツのみ。しかし一点豪華主義として四國五郎さんの絵画を大きく引き伸ばして窓に貼りました。杉原先生は大学との連絡、学生の指導とそれは大変なご苦労でした。私の鬼のような指導に学生達が臍を曲げてしまう時もありました。しかし上演が始まり、満員の観客の反応、そしてアフタートークでの最大限の賞賛で、私達の苦労は全て報われたような気がしました。特に感動的だったのは、ハンブルク在住の広島原爆被爆者の方がいらっしゃって、ご自身の体験と共に、学生達に心からの感謝を述べられた時です。「生きている間にこのようなヒロシマのお芝居を観ることが出来るなんて思ってもおりませんでした」その言葉を聞いて、私は心から報われた気がしました。そして語学劇というものが、どれだけ語学学習に有効であるかも確信しました。大きな声ではっきりと伝える訓練としても外国語学劇はもっともっと活用されていくと良いと思います。:

2017年7月25日
広島・広島市立大学 
「ヒロシマを世界に伝えるために
──ハノーファーでの『ヒロシマ・サロン』の試みから」
詳細
ハノーファーでのヒロシマ・サロンにご登場いただいた広島市立大学の柿木伸之先生にお招きいただき、講演しました。広島市立大学の学科長様や教授の方々の中に林先生とハノーファーに行かれたが何人もいらして、林先生の業績の成果を改めて感じました。学生さん方にも面白がっていただき、ハノーファーに興味を持たれたようでよかったです。

2017年7月26日
神戸大学 
「語劇の可能性・ハンブルク大学で生まれた日本語劇
『少年口伝隊一九四五』について」
詳細

毎夏恒例になっていた神戸大学の特別授業で1月に行ったハンブルク大学の日本語語劇についてお話ししました。外国語学習において外国語劇の経験はとても大きいと思います。教室で話すのとは違い、大声で大勢に伝わるように外国語で話すこと、それは将来の仕事にも役に立つことです。そしてそのテーマによって新たな関心を得ることも演劇の力です。私にもう一つ体があったら積極的にやりたいことの一つです。まずは学生さんや先生方の間でやりたくなるといいな、と毎夏様々な大学でお勧めしています。

2018年4月4日
ハノーファー青年の家
「ヒロシマ・サロン・ワークショップ&お別れ会『広島&ハノーファー青少年交流50周年記念』」
詳細

広島からハノーファー訪問使節団がやってきました。広島とハノーファーの子供達大人達と一緒に「ヒロシマ原爆の記憶伝承と平和活動のこれから」を考えるワークショップを、お別れ会を兼ねてやってみました。今、広島原爆の記憶を伝承するのに知っておきたい事柄、平和活動の参考にしたい人など、私がピックアップした8人の人物の言葉を日独両言語で読んでいく試みです。自国の問題を世界に発信していく若者マララさん、被爆国は日本だけではないことを確認する為にビキニ諸島元住人、広島を外の目から見ている哲学者ギュンターアンダース等、皆で楽しみながら学んでいきました。視点や見方を変えて広島を見ることも伝承の上で大切だと思ったからです。第2部はハノーファーの人と広島の人と交互にカラオケやダンスを披露、盛りだくさんのお楽しみ会となりました。広島とハノーファーの友好都市関係は、平和を願う心から生まれた貴重な友好都市です。この貴重な関係を更に60年、70年と続けていっていただきたいものです。

2018年8月5日
広島・ 井内康輝先生事務所
「ヒロシマ・サロン・ワークショップ」
詳細
先にハノーファーで行ったワークショップを、ハノーファーからの青少年を迎えた広島の広島国際青少年協会でもやらせていただいた。若者達がヒロシマを世界に伝えるのにヒントにしてほしいと、今までの私の経験・知識を総動員して、青少年交流を始めた人々の思い、世界の出来事へのアンテナの張り方、相手国の歴史への興味の持ち方などレクチャーしました。若い世代の交流に期待しています。
この頃ある決心をしました。 ヒロシマ・サロンを始めてから8年が経ちましたが、正直やめようと思ったことは何度もありました。私自身が広島出身ではないこと、司会としては未熟な私のドイツ語能力、本業ではない作業に時間を取られすぎる、それに他に挑んでみたいテーマが幾つかある・・そんなモヤモヤを吹き飛ばしたのが、2017年ICANがノーベル平和賞を受賞した際の、サーロー節子さんの演説でした。ヒロシマを語る事が現在の世界にいかに大きな意味を持つかを思い知りました。今やめてはいけない、しかし更に活動するにはどうしたら・・そこで思いついたのがソロパフォーマンスという形です。これなら一人でもっと身軽にどこでも行けるし、役者としてもやり甲斐のあるチャレンジとなります。ちょうどハノーファー州立劇場は芸術監督交代を控え、どちらにせよこの劇場でヒロシマ・サロンを行えるのは最後になりそうでした。ならば最後に大きな打ち上げ花火として、この8年のヒロシマ・サロンの集大成として、ソロパフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」を作ろうと決意したのです。

2019年2月13日
ハノーファー州立劇場
   「ソロパフォーマンス『ヒロシマ・モンスターガール』&ヒロシマ・サロン」
詳細
今回のヒロシマ・サロンはソロパフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」のお披露目を第一部として、第二部はヒロシマ・サロンの7年間の歩みを振り返る他、核問題に熱心な活動をしてらっしゃる方々をお招きしてお話を聞きました。ソロパフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」は圧倒的な喝采を受け、私は心から嬉しかったです。これからこの作品を持って、ハノーファーから全世界に行きたいと思います。そして第二部のトークも充実していました。ハノーファーのあるニーダーザクセン州は、原発もあれば中・低レベル放射性廃棄物の最終処分場もあって核問題は身近な問題であり、市民の反対活動も盛んです。ニーダーザクセン州の問題を再確認して、劇場の外でのヒロシマ・サロンを発展させていきたいと思いました。しかし集合写真を見るとわかる、このメンバーのバラバラさ!普段決して知り合わないようなコスプレさん、弁護士、日本語教師から環境保護活動家、10代から80代、日本人ドイツ人、こんなバラバラな人達が1つの場に集い、互いに知り合い、ヒロシマ原爆を記憶し、共に私達に今何が出来るか考える時間を持つこと、それだけでもヒロシマ・サロンがハノーファーで生まれ育ってきた意味がある思います。皆これからも続ける気合い十分。まずは他の都市や国での遠征公演を頑張って、またハノーファーに良い報告を持って帰って来たいと思います。この活動には終わりはないんだと確信しました。ハノーファー州立劇場は今までで一番大きいホールを私に与え、そしてそれはソルドアウトになりました。今までの成果はここに確実に根付いていました。それが何より嬉しかったです。

2019年6月13日
ハンブルク・ドイツ劇場 FAQ Room 27
「ヒロシマ・モンスターガール」
詳細
「ヒロシマ・モンスターガール」のハンブルク公演を政治問題について考えるプログラムFAQ Roomの一環として行いました。上演後の特別トークゲストとしてIPPNW核戦争防止国際医師会議のメンバーであり、ICANの創設メンバーの一人であるインガ・ブルムさんがいらっしゃいました。パフォーマンスを作るきっかけの一つはICANのノーベル平和賞受賞時のサーロー節子さんの演説の言葉でしたので、インガさんにいらしていただけるのはとても嬉しいかったです。もう一人のゲストは「ビュッヘルはどこでもある」運動とハノーファー広島平和連合で活動するハイデマリー・ダンさん。お二人のアクチュアルな核問題について客席からも積極的に意見が交わされました。この日インガさんが呼びかけて集めた署名がきっかけとなり、ハンブルク港への核輸出入は禁止となり、インガさんからも感謝されました。

2019年7月7日
ビュッヘル核兵器廃絶フェス
「ワークショップ&朗読パフォーマンス「少年口伝隊一九四五」
詳細
ICANドイツから招かれてドイツ・ビュッヘル核兵器廃絶フェスでワークショップと朗読パフォーマンス「少年口伝隊一九四五」をやりました。毎年この時期にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン )とIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のメンバーを中心にここビュッヘルの軍事基地の隣の広場でアクションフェスが行われています。私の朗読パフォーマンスに参加してくれたIPPNWの若い医師の卵さん達、この戯曲の朗読会を自分たちの住んでいる町で企画をしたいと言ってくれました。ビュッヘル・フェスに集まったのは約700人の人々。パフォーマンスの後、沢山の人々から「私の町にも来てください」とオファーをいただきました。時間の許す限りいろんな町に行こうと思います。ソロパフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」もですが、井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」も、これからますますドイツで広がっていくことでしょう。舞台上で行った朗読パフォーマンスの様子がビデオでご覧になれます。14分20秒くらいからです。是非ご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=V2UwSsc8rOI&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1sbkIFVI8OkX1LbBCKFxvXV-n2lRNEMFCB5mgBaVe33QzDda-diVc2pFw

2019年8月6日
ハンブルク・ペトリ教会特設広場 
「少年口伝隊一九四五 朗読」
詳細
ハンブルク中心街にあるペトリ教会横に作られたヒロシマ広場でICANハンブルク支部主催のヒロシマプログラムに参加しました。有志10人と30分の短いリハーサルの後、マイクチェックして本番。劇場でのプロのリーディング公演とは違う、アマチュアのダイレクトな想いだけで読まれるこのようなリーディングが「少年口伝隊一九四五」という作品に不思議とマッチしている気がしました。井上ひさしさんの強い文章、練りに練ったドイツ語訳の文章が、キラキラと生き生きと残酷に「あの日のヒロシマ」をハンブルクの街中に出現させていました。きっと集まっていたハンブルク市民の胸に届いたことでしょう。読まれた有志の方々がとても手ごたえを感じてくださっていたのも嬉しかったです。朗読の最後に私は「原爆を許すまじ」を歌いました。ハチロクを遠いドイツでこのように迎える事はとても意味があると思います。ドイツでのヒロシマ関連プログラムは政治的イデオロギーが強く、どなたの演説の内容も「何万人が亡くなった」と数字が出てくるけれど、実際その日何がどう起こったか、人々がどうなったか皆さん知っているのかな、と時々思います。「少年口伝隊一九四五」はそういう意味でとても貴重な「ドイツ語訳された原爆戯曲」です。これからもハチロク以外の日にも、日本以外の地で、伝えていこうと思います。

2019年8月18日
ブラウンシュワイグ城・赤の劇場
「ヒロシマ・モンスターガール」
詳細
ブラウンシュワイグのプロテスタント平和活動グループのお招きにより実現した公演です。主催のパウル・コッホさんは熱心な平和活動家です。公演の前に2日間ブラウンシュワイグ近辺を案内してくださり、核廃棄物処理場アッセとコンラートにも連れて行ってくださいました。核廃棄処理場に対する地元民の活動の歴史、現在の状況などもメンバーから直接お話を伺いました。アッセでは地下700メートルまで潜って廃棄物の処理状況を実際に見るという貴重な経験をしました。それは怖しかったです。写真はその時に撮ったもの。核廃棄物は永遠に危険です。コッホさんは何人ものチェルノブイリの子供達の里親にもなっておられます。滞在最終日にブラウンシュワイグ城の赤の劇場でソロパフォーマンスを披露させていただきました。その後も意見交換会などがあり、とても充実した3日間の滞在でした。

2019年10月24日
チューリッヒ劇場
「ヒロシマ・モンスターガール」& ヒロシマ・サロン
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チューリッヒ初のヒロシマ・サロンは豪華で盛りだくさんの内容でした。現代音楽の巨匠ヘルムート・ラッヘンマンさんがゲストとして菅原幸子さん、笙の宮田まゆみさんと共にいらしてくださいました。ラッヘンマンさんはピアノでソロ曲を弾いて下さいました。宮田まゆみさんも笙を演奏してくださり、その響きに皆驚嘆しました。ちょうどチューリッヒ歌劇場でラッヘンマンさんの「マッチ売りの少女」が上演中で、そのモチーフのひとつでもある有名なテロリスト・グドルン・エンスリンの話もうかがえました。エンスリンはラッヘンマンさんの故郷の幼馴染で、デパートに火をつけた彼女のテロ行為がこの「マッチ売りの少女」作曲のモチーフのひとつになっているのです。他にもICANスイスのミア・ガンデンベルガーさんがスイスにおける核問題のお話をしてくださったり、東日本大震災の時に新国立劇場で働いていたメキシコ人ロドリゲスさんの震災体験談、スイス在住の山本さんの福島住民サポートの話など、全部聞き応え満点でした。私のソロパフォーマンスも大絶賛されて嬉しかったです。ヒロシマというテーマ、スイスではどうなのかなと心配していましたが、終演後の皆さんのお言葉、そして翌日の新聞評を読んで安心しました。チューリッヒでもこのプログラムをやる事は大事だと沢山の人に背中を押されました。画像はラッヘンマンさん、劇場のインテンダント・ニコラス・シュテーマン、私、宮田まゆみさん、菅原幸子さんです。


2019年11月15日
クーゼル・プロテスタント教会 
平和フェスティバル「少年口伝隊一九四五」朗読」
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ドイツはラインラント・プファルツ州にある小さな街クーゼルでの朗読「少年口伝隊一九四五」は想像していた以上にすごい経験でした。
人口5千人の小さな街。劇場も映画館もない街。カトリックとプロテスタント合わせて住民の8割が教会に通っている敬虔深い街。教会は市民生活の中心。そのプロテスタント教会が初めて企画した平和フェスティバルに招かれました。夕方から夜中までのプログラムで教会は超満員。礼拝から始まって高校生コーラスのコンサート、そして教会内に手作りのものを売るスタンド。小学生の子供達は自分達で焼いたパンを売っていたり、蜂蜜農家が蜂蜜を売っていたり、折り鶴を折るグループ、レバノンを助けるプロジェクト等等。子供からお年寄りまで200人くらいはいました。そんな賑わいが、私達の朗読が始まるとシーンと水を打ったような静けさに。一言も聞き漏らすまいとする集中力。祭壇の前に作られたステージに読み手は8人。ギムナジウムの生徒である16歳から19歳の子供達が5人、その先生、教会員のお婆さん、お姉さん。前日の夜に数時間演出をつけ稽古しただけですが、皆しっかりと堂々と物語を展開させていきました。神様に見守られ、きっと天国の井上ひさしさんにも見守られていると実感するほどの上出来さでした。偶然にも口伝隊の子供と花江さんと哲学爺さんという配役にぴったりな8人でした。朗読の後、私はスクリーンに広島の現在の写真と、今までのヒロシマ・サロンの活動のビデオを見せ、そしていつものように私が広島原爆伝承の活動をするきっかけとなった故・林壽彦さんとハノーファーの話をしました。終わってから熱気溢れる感謝の言葉を沢山頂きました。
2つの米軍基地に挟まれたこの街で、広島原爆の話はまた違う現実感を持ちます。聞けばその基地のひとつはヨーロッパ最大の米軍基地だとか。アメリカがドイツから買った土地なので、その内部の事はドイツ人には全くわから図、付近住民は潜在的に不安を持っています。しかしその基地あっての地元産業、住民の雇用。話を聞けば聞くほど私は沖縄を思い出していました。そしてそんな基地問題があるからこその、朗読される全ての言葉を飲み込むような聴衆の静けさだったのだと後から知りました。夏のビュッヘルの核廃絶フェスにはこの小さな街からバスをチャーターして40人も参加したそうです。そこで私はこのクーゼル平和フェスへのお誘いを受けたのです。今までプファルツ州には縁がなかったので、ここに基地問題があるなんて全く知りませんでした。世界平和に至る道には何と様々な問題があることか思い知らされました。
この活動には終わりはないのです。人から人へと伝えていくこと、国を超えて。新たな場所で新たな出会いと新たな知識をもらえる貴重な体験を私はしています。そしてヒロシマ伝承をこんなに喜んで感謝してくれる人がいるのが、何よりのご褒美です。

2020年2月8日
チューリッヒ劇場
ヒロシマ・モンスターガール & ヒロシマ・サロン」
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チューリッヒでの2回目のヒロシマ・サロン、トークゲストはスイス人日本人のダブルでチューリッヒ在住のお2人。ファッションデザイナーのカズ・フグラーさんと映画監督アヤ・ドメニクさんのお2人です。お2人とも芸術の力で日本とスイスを結ぶ素晴らしい活躍をされています。アヤさんのお祖父様は広島原爆投下直後に広島赤十字病院で被爆者の治療にあたられたお医者様。アヤさんはそれを巡るドキュメンタリー映画「太陽が落ちた日」を作られました。一方カズさんはアンティークの着物をアートに大変身させるファッションデザイナーで、チューリッヒ市内にあるショップ「KAZU」は大人気。東日本大震災後には陸前高田のご婦人達にミシンを送り、仕事として小物製作を依頼するというサポートをしてらっしゃいます。チューリッヒでこんな出会いがあるとは。ソロパフォーマンスの後にじっくりお話をお聞きしました。また劇場の食堂のシェフがお好み焼きをネットで調べて作ってくれ、日本酒と共にお客様に楽しんでいただきました。政治的なテーマは受け入れられないかもと言われていたチューリッヒでヒロシマ・サロンは2回とも超満員。この先も続けられますように。

2020年2月14日
パリ・ ICANパリ・フォーラム
「ヒロシマ・モンスターガール」
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ICANパリ・フォーラムで最後のプログラムとして「ヒロシマ・モンスターガール」ショートバージョンを披露させていただきました。初のドイツ語圏外、初の英語でのパフォーマンス、劇場じゃない空間、明かり合わせも無し。しかしやりました!ものすごい拍手をいただきました。終演後、各国からのご招待の話もいただきました。何より最前列でご覧になっていたサーロー節子さんに大変喜んでいただけたのが泣けるほど嬉しく、あと10年頑張れるくらい有頂天になりました。2人だけで1時間くらいお話もさせていただきました。節子さんに沢山褒めていただき、心配していただき、励ましの言葉をいただきました。素敵なモンスターガール1周年記念公演になりました。 各国からいらしたアクティビストの方々は、「こんなストレートなヒロシマのパフォーマンスは初めてだ」と口々にその衝撃を話しかけてきました。ドイツ語圏では珍しいテーマと思っていましたが、世界規模でも珍しいと分かって、これからの夢が広がりました。行って良かったです!

2020年7月3日
バード・クロイツナハ
平和活動グループ ‘Aktiv für Frieden’との朗読会

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バード・クロイツナハはラインラント・プファルツ州にある小さな都市。その平和活動グループ「平和へアクティブ」の長年の活動が実り、昨年同市は「平和市長会議」に加盟しました。グループと市長さんに招かれ、「少年口伝隊一九四五」の朗読を演出しました。読み手はグループの人々、市長さんも客席に。同市は近くにある軍事基地に経済的に頼っていて、核に反対するこの平和活動グループに否定的な人が大半だとか。その中で地道に活動され、ついには市政を動かしたことは大きな成果です。これからも活動のお手伝いが出来たらと思います。

2020年7月4日
ビュッヘル核兵器廃絶フェス
「ワークショップ&朗読パフォーマンス「少年口伝隊一九四五」「「ヒロシマ・モンスターガール」

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昨年に続きビュッヘルでの核廃絶アクションフェスにお招きいただき「少年口伝隊一九四五」の朗読ワークショップと発表を行いました。コロナ禍で規模は縮小されましたが今回初参加の若者が劇的に増えて、これからの活動が楽しみです。ICANドイツのインガ・ブルムさんは「この朗読を聞けば、なぜ私達がここに集まっているかが分かる。この朗読は絶対必要」と強く言ってくださったように、若者達にも核兵器の脅威とはどういうことなのか具体的に伝えるという意味でもこの作品はとても効果的なのがよく分かりました。その後の若者達の演説にもこの作品の文章が出てきたり、また「原爆を許すまじ」をこの3日間で何度も歌ったり、広島原爆を伝える使命が果たせたと実感する日々でした。ソロパフォーマンス「ヒロシマ・モンスターガール」も野外で暗くなってから披露させていただきました。
2019年8月6日
ハンブルク・ペトリ教会特設広場 
「少年口伝隊一九四五 朗読」

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昨年に引き続きICANハンブルクの皆さんとハンブルク・ペトリ教会の横の広場で「少年口伝隊一九四五」の朗読をしました。場所はハンブルクの中心街で人も車も多い所、にも関わらず、読み手の皆さんが「全部読みたい」と言ってくださり、全編朗読に挑戦しました。この作品は出会った人の意識を変える作品です。騒音にもマイクトラブルにも負けず淡々と読み進み、地面に座り込んで聞いている人もいました。ここハンブルクから新たに朗読の波が広がっていくといいなと思います。

報道

2020年7月8日
Allgemeine Zeitung: „Hiroshima darf nie wieder passieren“
2019年11月21日
47 NEWS 日本人俳優が欧州で原爆の悲劇を訴え続ける理由
2020年2月6日
swissinfo.ch 広島・原爆の記憶伝える欧州在住の日本人俳優
2019年11月30日
the japan times Sachiko Hara: Acting on a dream to perform
2019年10月25日
ターゲスアンツアイガー紙「ヒロシマ、我が愛」
2019年6月13日
ターゲスツアイトング紙「核の危険は常に私たちに付いてくる」
2010年9月20日
HAZ: “Little Boy – Big Taifoon” von Hisachi Inoue im hannoverschen Ballhof 1
2010年9月20日
Neue Presse: “Europäische Erstaufführung “Little boy – big taifoon” im Ballhof”
2020年7月13日
Goethe Institut: “Zeit zuzuhören”

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© 2020 原 サチコ